実写版『美女と野獣』せっかくいいところもあるのにいじり過ぎて微妙に

美女と野獣 2017

『美女と野獣』ビル・コンドン監督 2017)は悪くはないし、ヴィジュアルはかなりよいと云ってよいが、余計な要素を詰め込みすぎて、それらがよい効果をあげていないので長く感じる。

アニメ版の野獣は背中が盛り上がっていて四つ足動物が二足歩行している感じが出ていたが、実写版は顔や角のデザインはいいのに背筋が伸びていて、迫力が薄れている。

ルミエールは動くと普通の人間みたいで、脚はもっと燭台っぽい方がよかった。

黒人のキャストが混じっていて、黒人を差別するつもりはないし、黒人がいる必然性があればいいのだが、これは単に現実世界の大人の事情で、そういうことが思い浮かぶと夢の世界に入り込めない。映画とは完全な世界を創り出せるものだと思うが、こういうのは本当に嫌。

ガストンがベルの父親を殺そうとするのはいくらなんでもやりすぎ。作った人は本当にこれがよいと思ったのだろうか。その後に精神病院送りにしようとするのは悪さが弱まっているではないか。

ベルの母親をせっかく出したのに、どのように素敵だったのかが抽象的にしか描かれておらず、見捨てられてかわいそうすぎる。こんな中途半端な描き方なら、ない方がましだ。過去の事情を話した父親にベルは”I understand”と云うが字幕は「いいのよ」となっていて、いやいや、仕方なかったとはいえ、よくはないでしょう。

野獣とガストンの対決で、アニメ版は野獣がガストンに逃げ道を残したのにガストンが深追いしたために落下してしまうが、実写版は離れた場所から飛び道具を使って、足場が崩れてガストンが落下する。こんなのただの事故じゃないか。足場が崩れなかったらどうなるのか。アニメ版のガストンは、それほどまでに野獣に嫉妬していたのだなと同情もするが、実写版はただの卑怯な悪人。ガストンを結構嫌いじゃない私からすると全然駄目。

終盤の瀕死の野獣とベルのシーンに第三者はいらない。ここは本当にいらない改変だ。

野獣の変身のところの光がモワーンとしていて、アニメ版のようにほとばしり出る光ではない。暗い場面でバシーッと強い光が出るのがかっこいいのに。

駄目なところは多いが、自然の風景や城の内部はとても美しい。家来たちのデザインもかなりいい。

城の中でのベルと野獣の関係ややりとりはすごくいい。ここはよくなっている改変で、とても気に入った。

私はミュージカル版の野獣のソロ「愛せぬならば」に思い入れが強いので、曲が変わっていることを知って少し残念に思ったのだが、新曲「ひそかな夢」もいいじゃありませんか。どちらも悔恨とベルへの愛を歌っているが、「ひそかな夢」の方がラヴソング度が上がっている。「愛せぬならば」に匹敵するくらいグッときたし、野獣が階段を登って塔の上の方へ行くのも「愛せぬならば」を思わせ、素晴らしい。ただ、歌の終わりをもっとガーッと盛り上げて、歌が終わった後に余韻が欲しかった。すぐに別の騒がしいシーンが始まる。という不満を持ちながら最後まで観たら、エンドクレジットで流れる「ひそかな夢」は最後がガーッと盛り上がっていて、一番最後の歌なので当然余韻が残る。何故劇中でそうしないのか。

ミュージカル版の野獣の変身の後のベルとのデュエットがすごく好きなのだが、ここは「愛せぬならば」のメロディなので実写版ではカットだ。

全体的に何かせわしない映画だよね。やはりオリジナルは偉大だ。くだらない自己満足な部分をカットして「人間に戻りたい」を入れた方が、よほど『美女と野獣』らしい映画になっただろう。普通にリメイクすればよいのに、この作品に限らず作り手の「俺ら面白いことやってます」的なものが透けて見えるのは興ざめなものだ。

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