怨恨から殺人を犯す話はよくある。殺人者が罰を受ける話、改心する話も普通すぎる。殺人のおかげで幸せな結婚ができたという珍妙な話が「アーサー・サヴィル卿の犯罪 ー義務の研究ー」(1887)だ。文庫本の内容紹介にも「愛の悲喜劇」とあるように、本人は悲劇的な真剣さなのに滑稽で笑える。不道徳と云えば不道徳な話だが、著者オスカー・ワイルドは『ドリアン・グレイの肖像』序文でこう書いている。
道徳的な書物とか非道徳的な書物といったものは存在しない。書物は巧みに書かれているか、巧みに書かれていないか、そのどちらかである。ただそれだけでしかない。
ウィンダミア夫人の歳は四十、三度結婚したが愛人を変えたことはなかったので醜聞を口にされることはない。その美しき夫人のお気に入りは手相占い師だ。夫人が催す夜会でアーサー卿の手相を見た占い師は蒼ざめる。優雅な生活を送ってきた若きアーサー卿は生まれて初めて恐怖を感じ、宿命というものに直面することとなったのだ。手相見が彼の手に見出したのは殺人。殺人を遂行するまでは婚約者シビル・マートンと結婚するわけにはいかないと思い込んだアーサー卿は一度目は毒殺、二度目は爆殺を試みるが、ことごとく失敗する。
恨みがあって殺したいわけではなく、殺したことがばれてはいけない、それなら殺人を犯す必要などないではないかと読んでいて思ったが、そのことはアーサー卿自身も気づく。占いなどなかったことにすればよい。だがそうはできないのがワイルドの作品に見られる「真面目」なのだろう。やめておけばよいのにハムレットのように苦悩し、運命に立ち向かう。
三度目の正直で当の手相見を川に投げ落とし、晴れて結婚して二人の子にも恵まれたアーサー卿は手相占いのおかげで幸福になれたと思っている。飽きっぽく、手相占いなどもう嫌いになっているウィンダミア夫人がそのことを聞いて云う言葉、「何て馬鹿馬鹿しいんでしょう! こんな馬鹿げた話、生まれて初めて伺いましたよ」は読んだ私の感想でもある。
《追記》
この作品は映画化されていて、それについては記事「『肉体と幻想』幻聴幻覚、占い、夢に翻弄される人々」に書いた。
(2018年5月7日)
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