「謎のないスフィンクス」 オスカー・ワイルド 秘密が肝心

アーサー卿の犯罪 オスカー・ワイルド

オスカー・ワイルドの小説を読んだり、ワイルド原作の映画を見たりしていると、秘密が重要であることに気づく。男二人いれば、秘密を持った真面目な男とお気楽者というパターンがある。『ドリアン・グレイの肖像』の画家バジル・ホールワードも「現代生活を神秘化し、非凡化してくれるのは、秘密をもつこと以外にはなさそうだからね、どんなにくだらぬことでも隠しておきさえすれば、魅力がますというわけだ」と云っている。

『アーサー卿の犯罪』(中公文庫)には短篇「アーサー・サヴィル卿の犯罪」「カンタヴィルの幽霊」「謎のないスフィンクス」「模範的百万長者」「W・H氏の肖像」と散文詩が収録されている。短篇のうちの中でもごく短い「謎のないスフィンクス」がまさに秘密についての話だ。

語り手「私」はパリのカフェで十年ぶりにオックスフォード時代の親友ジェラルド・マーチソン卿と出会う。「僕には女というものがどうもよく解らないのだ」と語るジェラルドに「私」は「女は愛するもので、わかる為のものじゃないよ」と云う。ジェラルドが出会い、深みに嵌ったアルロイ夫人の秘密は何か。愛しているのに、秘密に耐えきれずにひどいことを喚きちらしてしまう。秘密は秘密として目をつぶることのできる性格なら問題なかったかもしれないが、ジェラルド・マーチソン卿はそうではなかった。謎の行動をし、謎を残したまま死に、アルロイ夫人が立ち寄っていたアパートの大家の話も本当か嘘か判らない。アルロイ夫人は何をやっていたのか。そんな女を「私」は単に秘密マニアだと云い、ジェラルドは「そうかなあ?」と云い、話は終わる。特にすごく面白いわけではないが、謎や秘密の多いこの作品にはどこか心惹かれる。

直接関係ないが私は過去の記事「「スターニスラワ・ダスプの遺言」 H・H・エーヴェルス 伯爵の愛するアバズレ妻の最後」では「女は訳の分からない勝手なことばかりやるもので」と書いたり、「『悪魔のような女たち』 世紀末デカダンスの見本帳」では「女の黙り込みにはどうにも対処のしようがない」と書いた。謎のあるスフィンクスとしか思えないが、それでも自分の意志ではなく惹かれるときは惹かれてしまうところに怖ろしさがある。

The Sphinx Without a Secret by Oscar Wilde

『アーサー卿の犯罪』に収録のものは福田恆存福田逸訳、「ユリイカ 2000年4月臨時増刊 総特集 オスカー・ワイルドの世界」収録のものは西村孝次訳だ。

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