『フランケンシュタイン』 モンスターは最初からモンスターだったわけではない

フランケンシュタイン ケネス・ブラナー ロバート・デ・ニーロ 1994

ケネス・ブラナー監督の『フランケンシュタイン』(1994)は過去に観たが、期待したほどではないと感じた。原作を再読した直後に見ると、よく理解でき、いい映画だった。原作にない出来事があったり、映画的に派手になっているところもありながらその精神は原作にかなり近い。ただ、時間の都合か端折っている部分もあるので、原作を読むとより楽しめる。水槽など実験室のセットもアンティーク風で素晴らしかった。

原作だけではなく、過去の映画へのリスペクトも感じられる。原作にあるわけではない”It’s Alive”の台詞や犯罪者の脳を使ったという設定はジェームズ・ホエール監督版(1931年)、死体をつぎはぎして作られたので怪物の右目と左目が違うのはテレンス・フィッシャー監督『フランケンシュタインの逆襲』(1957)の影響だろうか。

フランケンシュタインの試みは狂気じみてはいるが、いわゆるマッド・サイエンティストとは違う。迷ったり悩んだりし、イッちゃった人物ではない。パルプ雑誌のマッド・サイエンティストが出てくるのが1920ー30年代で、その時期に原作が映画というメディアと出会わなかったらピーター・カッシングのイッちゃったフランケンシュタイン男爵もなかったかもしれない。

原作では善良な被造物がいかにして怪物となったかが語られる。怪物は云った。「おれだって優しく善良だったのに、惨めな境遇のために悪魔となったのだ」と。人との交流を求めながらも醜さゆえに迫害され、憎しみを抱えた人殺しになった。今読んでも実際にありそうな話だ。だからこそ怖ろしい。

『フランケンシュタイン』とキリスト教、フランス革命との関係も興味深いので、これからも調べていきたい。

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