フィッツジェラルドはジェラルドとセーラのマーフィー夫妻に憧れ、『夜はやさし』のモデルにした。モデルにされた方は不本意だったようだが、友情はフィッツジェラルドの死まで続いた。マーフィー夫妻の、1920年代から30年代パリでのヘミングウェイ、ピカソ、レジェ、コール・ポーターなど文化人、芸術家との華やかな交流は、『優雅な生活が最高の復讐である』(カルヴィン・トムキンズ 新潮文庫)に詳しく書いてある。
フィッツジェラルド夫妻が膨大に金を使って貧相に暮らしていたのに対して、マーフィー夫妻はそれよりはるかに少ない金で優雅に暮らした。どちらも金持ちには違いないのだが、金持ちにも不幸な現実は訪れるし、気の持ちようは参考にすることができる。
ジェラルド・マーフィーは、人生の自分でこしらえた部分、非現実的なところだけが好きで、家族の死や友人の病など、色々なことが起こる現実には、どうにも手の出しようがないと語る。すると、フィッツジェラルドは、そういうものは無視するってことかい、と聞いた。その答えだけではなく、フィッツジェラルドの考え方も興味深いので、引用する。
『無視はしないが、過大視したくない。大事なのは、なにをするかではなく、なににこころを傾けるかだとおもっているから、人生のじぶんでつくりあげた部分にしか、ぼくには意味がないんだよ』」。その言葉は、人生を支配できるかどうかは運次第であると考えていたこともあった、と書いたこともあるフィッツジェラルドのこころの琴線にふれたようだった。ともかく、人生を悲劇的基準で測らないようにすることだ、とジェラルドは言った。
ふざけた奴らにはロケット・ランチャーをブチ込んでやりたくなるが、できれば優雅な生活で復讐したいものだ。