昭和ヒトケタ生まれのハードボイルド作家・生島治郎のメッセージ

ハードボイルド風に生きてみないか 生島治郎

『ハードボイルド風に生きてみないか 男の行動原理』生島治郎)は1979年に刊行された(文庫本は1984年)。当時、権力や財力を握っていたのが明治生まれの老人たちだった。明治生まれの人たちは維新の嵐をくぐりぬけてきたわではなく、その恩恵だけを受けて育ち、やったことといえば日本を戦争に巻き込み、国をメチャメチャにしたことだけだった。

大正生まれは明治生まれのエリートたちの呼びかけに応え、あるいは応えざる得ない立場に追い込まれて戦争に駆り出された。犠牲者のはずなのに、同世代の死を讃美し、自己陶酔し、若者に愛国心を呼びかけ、あの戦争が正義の戦いであったかのように語った。

戦争に正義などありはしない。どのような大義名分もありはしない。どちらの側にとってもそうなのだ。戦争に関して、美しいこととか、カッコいいこととかはあり得ない。われわれには、特攻隊に入り、軍神とあがめられるチャンスなど与えられなかった。与えられたのは飢えと寒さと不自由さだけである、と昭和ヒトケタ生まれの生島治郎は書いている。

なにも頭から信用してはいけない。特に、権力の座にあるもの、権力の座につかんとするものの言葉を信用してはいけない。日本を信用してはいけない。日本人を信用してはいけない。自分の手にとって、表も裏もよく観察し、納得のいくものでしか信用すべきではない。

敗戦後、明治生まれの人々も大正生まれの人々も昭和ヒトケタ生まれの人々も、せっせと働きつづけた。わきめもふらずに、走りつづけ、日本が住みよい国になったと錯覚した。しかし、実情はちっとも住みよくなっていはしない。繁栄の仮面も、アッという間に、はがれかかっている。

一所懸命、走りつづければ、パラダイスへ辿りつけると思っていたのだろうか? パラダイスなんか現実にあり得ようはずはない。あるとすれば、それは自分でつくりあげるしかない。

誰かのために走る必要もない。
ふりむかずに、ただ、足もとをゆっくり見定めて歩いていくのが、もっとも、賢明な方法だろう。
誰かが命令しようとしても、その命令が自分にとって、どれほどプラスになるか、しっかり考え直した方がいい。

三十五年前の文章の「実情はちっとも住みよくなっていはしない」の部分など、今読んでも古く感じないところが恐ろしいというか、悲しいというか、残念だ。

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コメント

  1. 紅真吾 より:

    紅 真吾です。
     またまた寄らせて頂きますネ。
     生島治朗氏はアタシのお気に入りの作家ですので、「ハードボイルド風に生きてみないか」も愛読書の1つです。
     ところで、そんな氏のエッセイ集「女の寸法、男の寸法」を紹介致します。
     昭和56年の6月29日からサンケイ新聞に100回にわたって掲載されたエッセイ集です。
     どちらかと言うと、拙著『007おしゃべり箱』のスタイルとして、この「女の寸法、男の寸法」は大いにを参考にさせて頂いた次第です。
     それはともかくとして、こちらも面白いですヨ。

    • Blacken Darkin より:

      生島治郎氏はまだあまり読んでいないのですが、「ハードボイルド風に生きてみないか」には共感する部分が多く、「黄土の奔流」は成功するとか成長するとかいう単純な物語ではないところが、とても気に入りました。「女の寸法、男の寸法」も読んでみます。ご紹介ありがとうございます。

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