数年前に『百年の誤読』(岡野宏文、豊崎由美 ぴあ)を読んだときに、江戸川乱歩の「押絵と旅する男」(1929)について気になる部分をメモしてあった。「信用できない語り手、人形とレンズに向ける偏愛と恐怖」と。最近、「押絵と旅する男」が収録された乱歩全集第一巻の昭和三十年発行のものを105円で買って読んだ。すぐに新品を買ったり借りたりするより、いい雰囲気で読めた。
以前から好きだったホフマンの「砂男」(1815)に似ていると思ったら、やはりそういう本が出ていた。『ホフマンと乱歩 人形と光学器械のエロス』(平野嘉彦 みすず書房)だ。フロイトを持ち出して類似性、差異性を考察している。父親とか隠喩とか狂気とか妄想とか色々ある。
ホフマンや乱歩についてではないが澁澤龍彦が「眼の欲望」(中公文庫『エロティシズム』収録)で書いている。「見るということは、所有することである。「女」という観念を食ってふとった眼は、ますますぎらぎら熱っぽく光り、さらに対象に食らいつくであろう。堂々めぐりの議論になるようだが、対象に向けられた視線は、相手を物体として犯すことになるのだ」と。これはよく理解できる。
レンズにちなんで、昔風の活字をレンズを通して撮ってみた。