うたかたのレヴュー

浅草紅団 川端康成

『浅草紅団』川端康成 昭和五(1930)年)で描かれ、実際にブームになったカジノ・フォリーは、『如何なる星の下に』高見順 昭和十五(1940)年)では劇場だった水族館が廃屋となり、取り壊されている。『現代猟奇尖端図鑑』には、カジノ・フォリーは「到底レビユーとはいへない程度のことしか出來ない」と書かれている。

『如何なる星の下に』に出てくるメインの劇場はK劇場、モデルは花月劇場だそうだ。レヴュー、軽演劇、演芸をやっていたが戦争の混乱で人気は低迷し、戦後は映画館になった。

他に松竹少女歌劇の描写がある。お客は華やかな少女の群れで、「何か浅草に嫌悪と軽蔑の、そして幾分の恐怖の背を向けて」、停車場や駅と劇場をまっすぐ往復し、歓楽街の六区には足を踏み入れないという。過去の記事「『歌劇学校』 川端康成?の少女小説」に書いた、「宝塚は浅草のいかがわしいレビューと混同されないように「清く正しく美しく」を標語とした」と通づるものがある。

多くのものが流行したり消えてゆく中、百年続いた宝塚歌劇は幸運だ。『如何なる星の下に』に書かれている「公園のレヴィウ劇場は大概出しものが芝居と踊りの二つに分かれている」という当時の文化が今でも残っていて、過去と現在のつながりが感じられる。

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