『誘惑者の手記』北原武夫 理想の女性を求め続けるドン・ファン いくら美人でもマグロはちょっと

誘惑者の手記 北原武夫

最近は幻想の世界よりは実用的なものを読むことが多く、映画もあまり見ていない。そんな中、少しづつ読み進めていた小説が『誘惑者の手記』だ。昭和三十七(1962)年十月から一年間、週刊現代に連載された。十一月発表誌が警視庁に押収されたこともあるらしい。著者北原武夫宇野千代の夫だった人物で、フランス文学の影響を受けている。なにしろ長いので何度か挫折したが、最近やっと読み終わった。

この本に興味を持って、買ったのは結構前で、『オール・アバウト・セックス』鹿島茂 文春文庫)に載っていたのがきっかけだったはずなのは覚えていたが、どんなことが書いてあったかは忘れていたので久しぶりに見てみたら、「決定版 官能小説ガイド」という久世光彦福田和也鹿島茂が選んだブックリストと鼎談が載っていて、久世光彦のリストの一番最後に載っているだけだった。鼎談では話題に出て来ない。久世光彦が薦める本に興味を持つのは私ならありそうなことで不思議はないが、他にも十数作あるわけで、何故その中でも特に『誘惑者の手記』なのかと云えば、タイトルに、誘惑者という響きに惹かれたからだろう。

妻に先立たたれ、娘と二人で暮らしている弁護士黒田、四十六歳が未亡人の美容師、エレベーターガール、のちにヌードダンサーになるモデル、フランス帰りのデザイナー等など色々な女と関係を持ったり、娘の友達に迫られたりする。ホテルのグリルで見かけた人妻に惹かれ、周到に調査したり、人妻の友達に接近したり、あの手この手でなんとかものにしようとする。ただの女誑しではなく、初めての相手のときの感覚を求め続けているのだ。黒田のスタンスが分かる部分を引用する。

 私はドン・ファンかも知れないが、浮気者ではないと、自分では固くそう思っている。まして、好色家でも、漁色家でもないと、信じている。
 (中略)
 例えば、私には私なりの美学や憧れがあって、女に対して絶えず何かを求めているのだが、彼らには、そういういわば根源的な欲求がない。女は、彼らにとって、ただ単に欲望の道具であるに過ぎない。
 セックスの問題に至っては、私と彼らとの間には、更に大きな開きがある。それは、私にとっては、女の内奥に迫る大切な秘境であって、冗談ごとではないばかりか、いつも全身の情熱でもって分け入らなければならない、神秘な世界であり、従って、時によると、セックスそのものが、私にとっては呪物崇拝(フェティシスム)の的になりかねないほどだが、彼らにとっては、決してそんなことはない。それはいつでも、単なる享楽や好奇心の的に過ぎない。

人妻を誘惑するのはラクロ『危険な関係』のようで、理想の女はなかなかいないものだという虚しさは『源氏物語』のようでもある。

官能小説と呼ぶには文学的すぎる。文学的と呼ぶには通俗的すぎる。それも悪くない。私は過去の記事「エロティックな紳士を目指してジャック・ニコルソンの目つきをできるようになりたいと思ったが簡単ではない」に「もっと危険な雰囲気を出すべきではないか、目指すはエロティックな紳士だ」と書いたが、そういう人は読んだ方がいいね。パートナーがいる人はどうのとか、歳の離れた人はどうのとか云っているやつらは本当にくだらない島国根性だなと思う。なんて偉そうなこと書いているが、私も誘惑者になりたくてなりきれなくて痛い目に遭ったことはある。

『誘惑者の手記』の単行本は安くないが、現代長編文学全集の一冊なら1円で売られている(2017年8月現在)。

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