理想の傘がなかなかない 1980年代篇

記事「理想の傘がなかなかない」に書いた傘は使っているうちに骨の金具が全体的にねじれてきて、最近1本折れた。意外と短い寿命だった。別の傘を注文した。私の理想より3、4cm長いが、おそらくかなりいい感じなので届くのが楽しみだ。これで傘探しも終わりになるか。

ファッションについての本や雑誌記事では大抵、傘はステッキのついでに書かれている。月光創刊第三号(1984年11月)掲載の樣式の美學もそうだ。ステッキという無用の美について書かれた文の中に、筆者長澤均氏が蝙蝠傘を買ったことの記載がある。

私事で恐縮であるが、私なぞつい先頃まで、ステッキは持っていても蝙蝠傘の一本も持っていなかったのである。それは持つに足る美しい蝙蝠傘が売っていなかったことによる。結局、三十年ぐらい前のものと思われれる蝙蝠傘をたったの百円で手に入れ、どうやら雨を凌げるようになったという次第である。

私は記事「理想の傘がなかなかない理由」に「雨の多いこの国に、何故これほどまでに恰好よい傘がないのか」と書いたが、それは今に始まったことではなかったようだ。

長澤均氏はステッキについて、労働するためには長すぎ、思索するためには短すぎると書き、写真家アドルフ・ド・メイヤーによるエティエンヌ・ド・ボーモン伯爵の肖像を紹介している。

ステッキと傘の違いはあるが、同時に語られることが多いので、あえて書く。このステッキの短さ、すっきりした立ち姿の美しさよ。それに比べ、現代日本の紳士傘の「大きいことはいいことだ」、「大は小を兼ねる」と云わんばかりの野暮ったい長さ。本当に嫌になる。

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