「モボ・モガの時代 東京1920年代」(平凡出版社)は写真も文章も詰まっていて、読みながら何度も「へぇーっ」と声に出してしまった。興味ある話題は色々あるのだが、最近の記事、浅草、カジノ・フォーリーに関連する、「魅惑のレビュー」というページがある。「『モン・パリ』の宝塚、『オーマイ紐育』のSKD、いざ、レビュー合戦開始」といった具合だ。
清川虹子がカジノ・フォーリーについて語っている。客席は慶応の学生で満員で、手に手にバラかカーネーションを一輪持ち、それをお目当ての女優に投げた。一部が芝居、二部がヴァリヱテと呼ばれるレビューだった。レビューが終わると、スポットが絞られ、舞台の上に残る照明の輪の真ん中でお辞儀する女優、そこへ花が投げられて、見る間に床が花で隠れてしまったそうだ。このようなことを私は全然知らなかった。小説とは違う、当事者の証言だ。
カジノ・フォーリーの写真が載っているブログ記事
カジノ・フォーリーの口上
これを見ると、 川端康成の『浅草紅団』(昭和五年 1930)の世界が臨場感をもって感じられる。
エロチシズムと、ナンセンスと、スピイドと、時事漫画風なユウモアと、ジヤズ・ソングと、女の足と━━
日本館が「エロエロ舞踏団」とうまい名をつけると、松竹座までが「ダンセ・エロ」と墨黒々だ。どこもかしこも看板に「エロ」━━しかしこんな尻切れとんぼの毛唐なまりはまだいいが、近頃浅草の「インチキ・レヴイウ」の看板の文句を採集してみたら、色情強の手帖━━まあ一度諸君も夕方、池の端の小屋の裏通を歩いてみるといい。この裏通は昼でもゆすりが出るともいうが、「エロの女王達」の楽屋口だ。涼みに出てゐるのだ。
以前、『浅草紅団』を読んだときは、文中に出てくる梅園竜子を知らなかったのだが、その後、川端康成が世話してレッスンを受けさせたりした人だと知って調べてみると、もの凄い美人だった。
梅園竜子記念館
当時の松竹歌劇団の衣裳がとても豪華で、全部フランス製、水の江瀧子の燕尾服だけは帝国ホテルの中にあった白系ロシア人の紳士服専門店製だったとか、宝塚歌劇団では演出の白井鐵造がパリから輸入した歌がすぐ舞台にのり、あまりに早いので小夜福子は日本製の歌だと思っていたとか、本当にかっこよくて楽しそうだ。『ミッドナイト・イン・パリ』のように時間旅行して、観に行きたいものだ。
戦争などせずにそのまま発展していれば、もっとかっこよく、しゃれた国になっていたかもしれないと思うと、本当に残念だ。