映画『キャッツ』(トム・フーパー監督 2019)の存在を知ったとき、うーん、どうだろう、期待しすぎるとガックリ来そうとは思っていたが、まさにその通りだった。観終わった後は、まあ映像的に面白いところもちょっとくらいはあったよねと思っていたが、時間が経って思い出すと段々腹が立ってきた。
公式の動画が結構出ている。ダンスや歌が上手い人はいるはずなのに群舞やコーラスの迫力が全然ない。止まった猫人間のつまらないアップや猫人間が豆粒にしか見えないくらいの引きの映像が多くて全体的にワクワク感、躍動感が全然ない。よかったところはヴィクトリアがかわいいところくらい。
猫人間が怖いと云われているけどそれはまあいいとしよう。猫にも色々な毛の長さの猫がいて、首の部分も毛でモフモフしている猫もいるわけだろう。それがほとんどの猫人間は同じような長さの短い毛でシルエットは人間の頭部と首だ。造形のこだわりが全然感じられない。ミュージカル好き、映画好き、猫好き、誰から見ても最低最悪の代物。
このレヴューの筆者もミュージカル『キャッツ』の大ファンらしいが、辛口になるのは当然だろう。
映画化された『キャッツ』は、ネット民の予想通りに“微妙な作品”だった:映画レヴュー
このレビュー面白いな。私も好きだから歌っている部分全部分かるし。ほとんど同意できる。音の迫力がないというのはやはり他の人もそう思っていたか。これ以外にも酷評レビュー動画があるけど、みんな優しすぎる。コメント欄も優しすぎる。作品のファンだけではなく各猫にもファンが付いているんだよ。こんなゴミ映画はボロクソにメッタメタに叩いてやらなければ。
どうすればよかったんだろうと話しているが、そんなの簡単、世界中から選抜キャストを集めてライブビューイングみたいな映像を撮ればよい、ただそれだけ。
元がナンセンスなので、ある程度分かりやすく説明しているのは悪くはない。抽象的でよく分からなかった”Jellicle Songs for Jellicle Cats”は新入りの猫(生まれたばかりの猫)に対して歌っているのだという解釈は納得できた。
グリザベラが娼婦であることがぼかされているので、惨めな感じがしないし、何故そんなに嫌われているのかが分からない。”Jellicle Songs for Jellicle Cats”で靴が落ちてこない、猫たちは室内に入ってしまって夜の集会をしている感じがない、ラム・タム・タガーはゴージャス感や雌に囲まれるモテモテ感がなし、グロールタイガーはちょい役でドラマティックな歌はばっさりカット、スキンブルシャンクスのガラクタの汽車はなし、ミストフェリーズのキラキラ感、キレキレダンス、連続ターンはなし、マキャヴィティはミステリアスな犯罪紳士ではなくただのゴロツキ、オールドデュトロノミーが還ってきたときの祝祭的な盛り上がりはなし、本当にもうないない尽くしだ。
1998年の映像化をはるかに下回っているので、全く作る価値のない映画だった。こちらでお口直ししよう。こちらは歌のないダンスシーンだけでも何回も見たくなる。
見比べてみると映画版の猫人間は猫とは骨格が違うのに人間の頭の形が出ていて、鼻と口周りが人間そのままだから違和感があり、怖いとか書かれるのだ。ひげや目の上の毛はよかったが。
舞台の映像、いいねー、素晴らしい! ワクワクする。ワイヤーアクションなんてなくても生身のアクロバットで圧倒されるでしょう。映画はボディラインが出ていて艶めかしいと云われているようだが、そんなのは舞台版の方が上であり、映画はエロティシズムが全然足りていない。
そうそうこれ! これこそマジカル・ミスター・ミストフェリーズだよ! 何なんだあの映画のもっさりしたミストフェリーズは。観客を馬鹿にしているのか。ふざけるな。
《追記》
やっぱり映画『キャッツ』のグリザベラ泣きすぎだよね。ミュージカルでは月明かりの下、とぼとぼ歩いていくところに哀愁が漂うが、映画ではいかにも悲しげな演技してますというところを正面から撮っているだけなので面白くない。歌は上手いのだろうけど、これは出演者のせいではなく演出が悪い。
いいね、これ、見ていて楽しい。こんな昔の映像に負けているとは映画『キャッツ』はどんだけクソなの。
自分の好きなものだけ褒めればいい、他を叩くなという意見もあるが、私はそれに賛成しない。金を取って芸を見せる仕事をしているんだから、駄目なものは駄目と叩かれても仕方ない。クソはどこまで行ってもクソ。猫人間は気持ち悪いけど、ストーリーはないけど歌とダンスはよかったという感想もあるが、いや、歌もダンスも全然よくないから。上手い人はいるんだろうけど群舞とコーラスの迫力が全然ない。これだけボロクソに書きたくなるくらいの爪痕は残したな。あと「『キャッツ』を0~5点で評価するとしたら、玉ねぎかな」という名言も生んだ。
(2020年2月9日)