ゴリラの発見は1847年。つい最近だ。そこからどのように『キング・コング』につながっていったのかを調べようと思い、『世界動物発見史』(ヘルヴェルト・ヴェント 平凡社)を読んだ。かなり大雑把にまとめてあるので、興味ある方は詳しく調べてください。Wikipediaを参考に表記など一部変えてあるところもある。
1840年代後半、同僚である二人のアメリカ人宣教師がそれぞれ、原住民から手に入れた未知の類人猿の頭骨と凶暴で攻撃的であるという報告を学者に送る。片方の宣教師は1846年に実際に目撃したと主張。ゴリラ、科学界に登場。
1850年代中頃、アメリカ人作家、狩猟家、発見探検家、ポール・デュ・シャイユが『赤道アフリカの旅行と冒険』で、ゴリラを獰猛で悪夢のような動物だと主張。
French explorer Paul du Chaillu at close quarters with a gorilla. From: Stanley and the White Heroes in Africa (etc.) (H. B. Scammel, 1890)
これを読んで、そんなわけないだろと怒ったのがイギリス人歴史家、探検家、哲学者、ウィリアム・ウィンウッド・リード。彼はロンドンの巡回動物園で、おとなしくて悲しそうな顔のゴリラの子を見ていたのだ。ゴリラが動物園に来たルートは不明。
ウィンウッド・リードは西アフリカの森林地帯を14か月歩きまわり、徹底的に原住民に聞き込みした。その結果、多くの黒人種族にとってゴリラは宗教上の存在であり、森の神であり、あるいは「人間社会に背を向けて森へ入っていった古代の人間」であることが分かった。
1863年、 ウィンウッド・リードはロンドンの動物学会で講演、「ゴリラは人間を襲わない」という従来とはまったく異なるゴリラ像を打ち出した。だが、これは支持されなかった。イギリス人青年の真実の描写よりも、デュ・シャイユのゴリラ描写の方が面白かったからだ。天動説のように、迷信を打ち破るのは大変なようだ。
1875年、ドイツの探検隊がポルトガル商人から買い取った、マラリアを患った小さなゴリラをベルリン水族館に送る。人間そっくりの姿で知的でおとなしいゴリラは動物愛好家たちを夢中にさせたが、1877年に死亡。ゴリラ輸入のブームが始まる。
Photo of M’Pungu, a young Gorilla boy, who lived 1876/77 in Berlin.
ブームの最高潮、ドイツの植民地守備隊の将校ドミニクはカメルーンで、黒人千人、猛火と猟犬を使った大がかりなゴリラ狩りを行うが、捕らえたゴリラはどれも数日後には死んでしまった。ドミニク曰く、「われわれの世話の仕方が悪かったのではなく、心の原因、つまりホームシックにかかったためであった」。
これにより、動物学者、ハンター、動物園経営者たちはようやくゴリラを保護する方へ向かった。
1923年、デュ・シャイユが自分の報告をすべて真実だと思っていたかどうか、古代から繰り返されてきたゴリラ怪談を生み出した心理的背景はどのようなものか、昔の論争が再燃。
以上、駆け足で見てきた。証拠はなく推測だが、『キング・コング』(1933)の関係者が若いころに20年代の論争を耳にしていた可能性はある。原住民がキング・コングを崇拝しているのも、全くの作りごとではないようだ。また、映画に出てくる船長はイングルホーンとドイツ系であるのも、ドイツのゴリラ輸入ブームと関係あるだろうか。
ポール・デュ・シャイユ – Wikipedia
William Winwood Reade – Wikipedia, the free encyclopedia