『一九三四年冬ー乱歩』 久世光彦 日英仏ひきこもり文学

一九三四年冬 乱歩 久世光彦

『一九三四年冬━乱歩』久世光彦 1993)は以前から著者にも題材にも興味はあったが、読む本が他にもあるので手を出さずにいた。図書館でたまたま目に入り、借りてみた。オチは特にない。古い洋館の妖しい雰囲気に這入り込めるところがいい。フィクションだが実在の人物、書物がたくさん出てきて、エッセイ的なところも少しある。

スランプの乱歩がホテルにこもって執筆する数日間を描いていて、ああこれは和製『さかしま』ユイスマンス)なのだなと思い、本文にも『さかしま』を高く評価している部分があり、やはりそうかと思った。『さかしま』(1884)はデカダンスの聖書とも呼ばれたフランスの小説で、没落貴族が部屋に趣味の人工楽園を築きあげる話だ。

新潮文庫を図書館で借り、買ったのは創元推理文庫だ。創元推理文庫の戸川安宣の解説には久世光彦とのエピソードや小説の元になった乱歩のホテル滞在についての文章があり、買ってよかった。乱歩ユイスマンスの影響を受けたかどうかは知らないが、次の箇所を読み、和製『さかしま』と感じた印象は間違いではなかったと思った。

ここは日本ではなくて、ヨーロッパの小国かシナの国際都市の場末にでもいるような感じで、私は益々この奇妙なホテルが好ましくなった。そのころ私は市内の高級ホテルには、よく泊まっていたが、そういうホテルとは全く感じがちがい、翻訳小説などで想像していた十九世紀末あたりの西洋の安宿への郷愁とでもいうような気分をそそられたのである。
そこで、私は適当な前金を払って、その部屋に一と月ばかり滞在することにした。西洋を放浪して、名も知れぬ場末の安宿に滞在するという錯覚を楽しむ気持であった。

他にイギリスのアーサー・マッケン『夢の丘』(1907)もモチーフになっている。一年ほどのあいだロンドンの下宿屋で、読書と瞑想と無言の散歩で暮らした男の話だ。こちらは乱歩自身が「群衆のなかのロビンソン」というエッセイで、「ロビンソン型」の潜在願望について書いている。私はこのエッセイを『大都会隠居術』荒俣宏)で知った。この本は読物としてではなく実用書として買った。

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