吸血鬼好きを公言していてこれを読んでいないのはまずいと思っていた『ポーの一族』(萩尾望都 小学館)を読んだ。あまり古本屋で見かけず、いづれ大きいサイズのを買おうと思っていたが、文庫で安いものを見つけた。
男の子は悪いヤツと戦う話ばかり読んでいるのに、恋愛描写の多い少女漫画を読んでいれば女の子の方がマセるのは当然だと思っていたが、『ポーの一族』はより大人っぽく死や孤独が描かれていて、ほろ苦い。それでいていかにも少女漫画という描写もある。多分、妹萌えの男が読んでも面白いだろう。
少年漫画にはない自由なコマ割り、抽象的な絵、詩的な文がある。吸血鬼ものはいつの時代でもどこの国でも話を作ることができることが、私は以前から魅力だと思っており、『ポーの一族』はまさにその通りの魅力がある。短篇、中篇から成っていて、一見全然関係ない話が結び付いていき、結末と冒頭は円環をなす。淡々とした話が多いが、最後の話はドラマティックだ。
『吸血鬼の事典』(マシュー・バンソン 青土社)の訳者あとがきに、『ポーの一族』に登場する登場するバンパネラたちは、世界の吸血鬼表現史上においてもかなり画期的で、『吸血鬼ゴケミドロ』だの平均的日本人の知らない日本語に精通する著者がもう少々渉猟の幅を広げていれば、本書の膨大な項目数にさらに長い一項が追加されてたことだろうとあるのは、決して大袈裟ではない。
《追記》
再読してみた。漫画を読むというよりは19世紀末イギリス文学を読んいるような気分になる。ホームズの帽子など出てくるが、オスカー・ワイルドやアーサー・マッケン、ロバート・ルイス・スティーヴンソン原作でもおかしくないような雰囲気がある。
宝塚歌劇団花組で舞台化されると聞いたとき、月蝕歌劇団の背の低い美少女でも似合いそうだなと思ったが、月蝕歌劇団は『笑う吸血鬼』(丸尾末広)を舞台化していた。観たかった。
宝塚版『ポーの一族』は、思っていたよりは悪くなかった。いい歌もあるが、音楽は全体的にうるさく感じた。エドガーがアランを仲間にするところは劇的でかなりよかったのに、最後にギムナジウムの生徒たちが賑やかに歌い踊るところでダサさ炸裂していた。静かに余韻の残る終わり方をして、若手の見せ場を作りたいならフィナーレでやればよいのに。そこが特に非道く、目上に対して「ありがとう、了解」など、おかしな日本語が散見されるものの、18世紀、19世紀のドレス、ヴェルヴェットの衣裳や映像、セットが豪華で、『ポーの一族』の世界に浸ることができた。
宝塚ネタを書くと目立つから、ひっそり大人しくしていようと思い、あまり書かないようにしているが、ちょろっと書いてみた。私のPROFILEが、見る人が見れば分かるようになっている。
(2018年2月11日)