手塚治虫記念館で開催された「戦後70年に考える アドルフに告ぐ展 ぼくは戦争の語り部になりたい」では、原画が多数展示されていた。私がこれを見たときはまだ『アドルフに告ぐ』を読んでいなかったので、読み終わってからその贅沢さに気づいたものだ。
以下は『ぼくのマンガ人生』(手塚治虫 岩波新書)からの引用だ。この本は講演録なのだが何年の講演なのかが書かれていない。おそらく1980年代後半だろう。
『アドルフに告ぐ』は、ぼくが戦争体験者として第二次世界大戦の記憶を記録しておきたかったためでもありますが、何よりも、現在の社会不安の根本原因が戦争勃発への不安であり、それにもかかわらず状況がそのほうへ流されていることへの絶望に対する、ぼくのメッセージとして描いてみたかったのです。
もう戦争は歴史のかなたです。いまの四〇歳以下の評論家だと、戦争体験を基礎にした戦争論は書けません。戦争体験は風化していき、大人が子供に伝える戦争の恐怖は、観念化され、説話化されてしまうのではないか。虚心坦懐に記録にとどめたいと思って『アドルフに告ぐ』を描きました。なかでも、全体主義が思想や言論を弾圧して、国家権力による暴力が、正義としてまかり通っていたことを強調しました。
『アドルフに告ぐ』の凄いところは、まず面白いところだ。メッセージは大切だが、漫画なのだから面白くなくてはならない。同じくナチスとの戦いがテーマの映画『カサブランカ』や『凱旋門』を思わせるところがある。
戦争の悲惨さを訴えた作品は『紙の砦』など他にもある。『アドルフに告ぐ』で描かれているのは人間の愚かさだ。ナチスに虐殺されたユダヤ人もイスラエル建国後はアラブ人を虐殺する。愚かな戦争に自由も恋も友情も踏みにじられる。語り部がいるのだから、その語りを聞くべきだ。