専制君主とは自己の利益のために法律を利用する者のことであり、人間の権利が万人にひとしく分割されている国では、自分が犠牲にしようとした相手からたちまちに殺されてしまう 『悪徳の栄え』 マルキ・ド・サド

悪徳の栄え マルキ・ド・サド

古本屋で現代思潮社版の『悪徳の栄え』マルキ・ド・サド 1797)を見かけた。私が持っているのは角川文庫なので、「露骨にして具体的なる性交性戯に関する記述」はカットされている。現代思潮社版を開いてみても、じっくり読み比べたわけではないので、どこがカットされているのかは判らなかった。ぱらぱらめくっていると、前の持ち主が引いた傍線が目に入った。興味深い記述なのでチェックした。

専制君主とは、法律をつくる者、法律をして語らせる者、あるいはまた、自己の利益のために法律を利用する者のことだよ。専制君主からこの法律濫用のてだてを奪ってしまえば、もはや暴君なぞはいなくなる。その残虐を行使するのに、法律の後ろ盾をもっていない暴君なぞは、一人だっていやしない。各自が各自の受けた損害に対して復讐しうるように、人間の権利が万人にひとしく分割されているような国では、専制君主などが頭をもたげる余地は絶対にありえない。なぜなら君主は、自分が犠牲にしようとした相手からたちまちに殺されてしまうにきまっているからだ。(角川文庫376ページ)

国民主権の国では、主権は国民にある。君主でもないくせに暴君のごとき振舞いをする者は、自分が殺される可能性というものを、もっと考慮した方が身のためだろう。

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