《「ロボット」という言葉ができる前のロボット》
ハリー・フーディーニは拘束されたまま箱に閉じ込められたり水中に投げ込まれたりして、そこから脱出する術で有名な奇術師だ。1874年にハンガリーで生まれ、アメリカで活躍した。ロベール=ウーダンのようになりたくて、”Houdin”にちなんだ名前を付けた。1901年のヨーロッパ巡業の際にロベール=ウーダン劇場で映画が上映されていたことから、フーディーニと映画の関わりが始まる(ジョルジュ・メリエスがロベール=ウーダン劇場を買収したのが1888年)。
15回の連続活劇『神秘の達人』は1910年代に世界中で上映された。ポスターを見ての通り、ロボットが特徴的で、ロベール=ウーダンが自動人形を自分の劇場の呼び物にしていたことを無意識に反映しているのだろうと『シネマの誕生物語 魔術師と映画』の著者エリック・バーナウは書いている。
便宜上ロボットと書いたが、カレル・チャペックの『R.U.R.』は1921年なのでロボットという言葉はまだない。1927年の『メトロポリス』よりも古く、映画のこの手の登場人物としては最初のものらしい。
パテ社のフィルムでポスターもフランス語なのでフランス語で動画を探したが見つからず、あきらめかけていたところ、英語のタイトルで見つかった。
この動画には欠けている回がある。ロボットのようなものは”a giant automaton”、”a giant machine”となっている。
ジャン・ウジェーヌ・ロベール=ウーダン – Wikipedia
ジョルジュ・メリエス – Wikipedia
ハリー・フーディーニ – Wikipedia
《日本での上映》
『日本ロボット創世記』(井上晴樹 NTT出版)によると、一度『竒蹟の人』の題で公開され、大正8(1919)年に『人間タンク』と改題され再上映されたとのことだ。この年、浅草の電氣館では9月末から全15篇を3篇づつ十日ごとに上映した。