ミュージカル『グランド・ホテル』のブロードウェイのオリジナルも宝塚月組初演も観ていないが、再演の映像を見た。映画にはない改変が色々あり、私は映画の方が好きだと思った。
原作はどうなのかと気になり、読んだ。やはりミュージカルはフレムヘン(フラムシェン)が意味もなく妊娠していたり、プライジングと契約したのに行為を拒んだり、年齢、衰えを気にしているはずのグルジンスカヤ(グルーシンスカヤ)が自分の年齢を云ったり、クリンゲラインが金を増やす手段が人間対人間のカードではなく、ただ買うだけの株だったり、ガイゲルン男爵がネックレスや財布をあっさり返してしまったり、脚本が変なのだ。音楽、衣裳、セット、照明がよいので、『グランド・ホテル』の世界を補完するには悪くはない。
『グランド・ホテル』(ヴィッキ・バウム 牧逸馬訳 中央公論社)は本自体が古く、旧漢字、旧仮名遣いで廻轉扉(くわいてんドア)、卷煙草(シガレツト)ケース、大吊燈(シヤンデリア)、男妾(ジゴロ)など当て字の振り仮名が多く、映画で見たようなアール・デコな世界を想像するのにぴったりだ。映画では省略されている出来事や人物同士の緊張感のある心理描写、検閲のため当時の映画では描けない裸體や性愛、情慾がはっきり描かれている。
基本的に登場人物は皆、悪い人ではない。金銭や健康などに不安を抱え、不器用に生きている中で、堕ちて行ったり、幸運が転がりこんできたり、人生色々というところだ。悲哀ありユーモアありで、メロドラマではあるが時々深い言葉があり、それでいて面白く、本当に凄い。映画もミュージカルも大人っぽいが、調べてみたら著者が四十歳頃の作品で、これを書くには、やはりそのくらいの人生経験は必要だろうなと納得した。
ガイゲルン男爵とグルジンスカヤの物語だけでも一冊の本になりそうなヴォリュームだ。男爵が盗んだ眞珠の頸飾りをなんとか返したい、どうやって返そうかというところにサスペンスが生まれる。原作は映画やミュージカルと違って、男爵は盗んだことを告白するのではなく嘘を吐き、グルジンスカヤも男爵が泥棒であることに薄々気付きながらも嘘を吐き、二人の嘘のおかげで関係は壊れないというところが面白い。
男爵はクリンゲラインを刺激的な遊びに連れ回す。洋服を仕立て、自動車でスピードを出したり、飛行機、ダンス、拳闘、ギャンブルと。男爵はクリンゲラインの金を手に入れる機会をうかがい、クリンゲラインは女遊びをしたがっている。男爵はクリンゲラインを小馬鹿にし、決して親切でやっているのではないが、クリンゲラインの外見も振舞いも紳士的になっていることが結果的に後にフレムヘンとの関係に活きてくるところが非常に面白い。
ミュージカルでプレイジングがフレムヘンにダンスをさせて「いい筋肉をしているな。ほとんど男みたいだ」と云うところが意味不明だが、原作ではプレイジングがフレムヘンに触れたとき、期待した柔らかさとは違う弾力のある硬さを感じ、軽く失望し「まるで少年のような」と云う。フレムヘンの冷たい美しさ、事務的な会話に萎えかけたプレイジングは、フレムヘンの腋の下に密生している毛を見て激情がこみ上げる。
男爵が殺されるところは、プライジングは男爵が銃を持っていると思ったのだが実は・・・とひとひねりある。
男爵が死んだ後のクリンゲラインとフレムヘンのやりとりが映画でも好きな場面だ。二人とも男爵が好きだったと話し、フレムヘンがプレイジングよりクリンゲラインと一緒にいる方が楽しいと云い、クリンゲラインが自信を持つところがよい。原作ではそこがより濃密に描かれている。フレムヘンは初めて金銭のやりとり以外で男に惹かれる。ミュージカルはそこがすっぽり抜けてるところがいまいちだ。
いやあ、面白い! 分厚いが、読み終わりたくない、いつまでもこの作品世界に浸っていたいと思わせる本だった。
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