『浅草紅団』(川端康成)も「水族館」(堀辰雄)も昭和五年(1930)刊の『モダンTOKIO円舞曲』に収録され、両方に男装が出てくる。この時期の男装は何なのか、時代の空気なのか、疑問がある。すぐに思いつくのは男装の麗人、川島芳子や少女歌劇だ。川島芳子をモデルにした村松梢風の小説『男装の麗人』でマスコミの注目を浴びるようになったのは昭和七年(1932)。少女歌劇の断髪は昭和五~七年頃(1930~1932)。答えは簡単には出そうにない。
「死後の恋」(夢野久作)が「新青年」昭和3年(1928年)10月号掲載なので、こちらも時期が近い。
ロシア革命直後のウラジオストクのレストランで貴族の軍人、24歳なのに白髪まじりでそうは見えない狂人(本人にその自覚はない)が語るロマノフ王家生き残りとその秘宝をめぐる、美と悲惨の物語。軍で親しくなった少年兵士の告白とは・・・。
「気づいたときには遅かった」というのはよくある話だ。それがこうも大袈裟な設定でロシアの寒さ、色彩を感じさせる文章で綴られると圧倒される。これほどグロテスクなのに、男色はタブーなようだ。すごい大法螺のようだが、1918年のロシア革命から十年、皇女アナスタシア生き残り伝説が信憑性をもっていた時代だった。