映画の内容についてではなく、映画そのものに闇があり、神秘的なところがある。映画のルーツは奇術であり、映画は演劇ではなく写真に近い。フィッツジェラルド、江戸川乱歩、川端康成、谷崎潤一郎、尾崎翠あたりにも映画の要素が見えてきて、興味惹かれている。そして最近、人形やミュージカルとの関連を指摘しているものを読み、新たな発見があった。
巌谷國士のインタヴュー「自動人形の物語」(夜想17 特集・未来のイヴ)は、古代から現代までの自動人形についての幅広い内容だ。その中に「映画というのは19世紀末に生まれた芸術ですから、アール・ヌーヴォーにもつながっているし、あの時代の素朴な機械信仰ともつながってくる」とある。ジョルジュ・メリエスの映画に人形がよく出てくるが、人間そのものがピョコピョコ動いて自動人形化し、1950年代のミュージカルやSFあたりまで映画と人形は切りはなせない、ミュージカル映画のダンスは人間が自動人形化する手っとり早い例だと書いてある。
この映画、夜想にセットの写真が載っていたので探してみたが、すごいですね。銀河鉄道と関係あるだろうか。
「自動人形の物語」にはホフマンの話題も手塚治虫の話題も出てきて、手塚治虫と人形、映画『メトロポリス』(1927)については書いてあるが、手塚治虫とホフマンの関連については書かれていない。手塚治虫は感覚的に好きな映画にミュージカル『ホフマン物語』(1951)を挙げていて、また、ホフマンの影響を受けている『ばるぼら』という作品もある。手塚治虫と云えば宝塚歌劇とも関係あり、宝塚歌劇と云えば1920~30年代のレビューとも関係あり、人形のようでもある。
私は映画もミュージカルもSFも人形も、それぞれ好きだが、つながりが見えてきた。まだはっきりしたものではないので、少しづつ調べていきたい。