ペーパームーン「ヴィスコンティ ルードウィッヒ・神々の黄昏」で海野弘は『地獄に堕ちた勇者ども』(ルキノ・ヴィスコンティ監督 1969)が多くの映画に影を落としていると書いている。ナチスが題材で主要キャストがかぶっている『愛の嵐』(リリアーナ・カヴァーニ監督 1974)、『サロン・キティ』(公開時の邦題『ナチ女秘密警察 SEX親衛隊』 ティント・ブラス監督 1976)が連想されるのは当然だ。
そこから時代を超えて、『サロン・キティ』の監督がヴィスコンティの『夏の嵐』(1954)と同じ原作で、時代設定をナチスの時代に変更した映画が『ティント・ブラス 秘蜜』(2002)だ。
『夏の嵐』(ルキノ・ヴィスコンティ 1954)は見たい映画だったが、DVDは高値でレンタルにはなく、なかなか見る機会がなかった。少し前にDVDとブルーレイが発売され、待っていればそのうちテレビで放送してくれるのではないかと思っていたら放送されたので、見た。
映像も音楽ももの凄い映画であることはよく分かった。19世紀半ば、オーストリア占領軍の将校と伯爵夫人がヴェニスで出会い、破滅へ向かうさまがオペラの壮大さで描かれる。記事「実写版『美女と野獣』せっかくいいところもあるのにいじり過ぎて微妙に」に私は「映画とは完全な世界を創り出せるものだ」と書いたが、ルキノ・ヴィスコンティはまさそれを実践していた。
ただ、ヘラヘラしたお坊ちゃんとギラギラしたおばさんの話だからねー、激情や駆け引きがあるといえばあるが、狂気で突っ走る感じや禁断の恋という感じではない。ヴィスコンティは当初、マーロン・ブランドとイングリット・バーグマンの共演を構想していたそうだ。軍人らしい男と清楚系の女で、こちらの方がよかったんじゃないかな。
やっぱり女は目先のことしか考えず、感情だけ、思いつきだけで行動する。男は男で駄目な奴で、見ていてあまり面白くない。戦争という極限状態なので同情の余地はある。女に関わり過ぎるとロクなことにはならないが、男もあまり調子に乗り過ぎてはいけない、という話。
『夏の嵐』の原題が「官能」という意味の”Senso”、『ティント・ブラス 秘蜜』の原題は”Senso ’45”だ。ティント・ブラス監督はポルノ映画界の巨匠とか粗製濫造とか云われているようだが、『サロン・キティ』は悪趣味全開、狂気全開でありながら反戦色の強い映画だ。
『ティント・ブラス 秘蜜』も『夏の嵐』と比べて反戦のメッセージが強く出ている。狂った時代に銃も戦争も嫌いだ、ヒトラーもムッソリーニもスターリンもくたばれ、女の尻が好きだ、僕は尻に酔うぞと叫び、立ったまま後ろから突き上げるナチス将校はなんとまともであることか。ナチス将校がピシッとした美青年で、人妻は楽しそうに堕ちてゆくところがよい。
ティント・ブラスはかつてロベルト・ロッセリーニの助手をして、彼の影響を受けたそうだ。『ティント・ブラス 秘蜜』はヴィスコンティ作品とはあまりに違い、映像も語り口もロッセリーニ風だと語っている。エンニオ・モリコーネの抒情的な音楽、滑稽で頽廃的な音楽がいい感じだ。
豪華さ壮麗さは『夏の嵐』が圧倒的だが、『ティント・ブラス 秘蜜』もただのエロ映画ではない。どちらも好きだ。