フィッツジェラルドのミステリ風、ファンタジー風の短篇が収録された『ベンジャミン・バトン』(角川文庫)の中の一篇に「異邦人」(1930)がある。 解説には「フィッツジェラルドと妻ゼルダを思わせる若き夫婦ニコールとネルスンは、ヨーロッパ各地を旅しながら、さまざまな夫婦や旅人に出会っていく。しかし、旅を重ねていく内に、関係は荒んでいってしまう」とある。
確かにフィッツジェラルド夫妻を思わせる面もあるが、マーフィー夫妻もモデルにしているのは明らかだ(参照 『優雅な生活が最高の復讐である』カルヴィン・トムキンズ)。「夫のネルスンは船の煙突の絵を描くこともあった」という描写は、ジェラルド・マーフィーのこの絵のことだろう。行方不明なのでカラーの写真はない。
Gerald Murphy ”Boat Deck” (1923)
解説にはまた、「ドラマティックな演出効果とともに、一気に寂寞たる幻想譚へとなだれ込むクライマックスが、何とも圧巻だ」とある。あまり書くとネタバレになるが、私も驚いた。ド●●●●●●●が出てくる。その少し前、若い夫婦が着いたレマン湖やジュネーヴ界隈の町についてこうある。
夜になるとバイロンやシェリーの幽霊がいまも薄暗い岸辺をさまよっているように感じられる。
これはディオダディ荘の怪奇談義を踏まえている。説明すると長くなるのでウィキペディア参照。 大雑把に云うと吸血鬼やフランケンシュタインのルーツ。
ジャズ・エイジに凝って行き当たりばったりに色々書いていて、ゴシックに行き着くとは素晴らしい。記事「『グレート・ギャツビー』の映像化は可能か?」で私は「『グレート・ギャツビー』にはマッドサイエンティスト的な狂気があるところがよい」と書いたが、あながち間違っていなかったのかもしれない。