村松梢風の『魔都』は上海関連の本には必ずと云ってよいほど出てきて、読んでみたいが単行本は全然出回ってなく、復刻版でさえ高額で、全然読む機会がなかったが、国立国会図書館デジタルコレクションにあった。著作権保護期間満了で公開されている。
これを電子書籍にできないだろうか。私がやるからには旧漢字、旧仮名遣いでやりたいが、どうしてもない漢字はある。「く」が縦長になったような踊り字はどうするか。ちょっと自序だけ打ち込んでみたが、すでに誤字らしきところ、読点、濁点が抜けているらしきところがある。まだ具体的な計画ではないが、電子書籍化してみたい。
自序
私が上海へ行つたのは、昨年――一九二三年の三月のなかばであつた。そして私が上海を去つたのは、五月の末近い頃だつた、前後二ケ月餘の滯在であつた。其の間お前は彼地で何をして暮らして來たかと訊かれると、私は直ちに返答はできない。私は其處でいろ〱の事を經驗して來たやうだ。そも〱私が上海へ行つた目的は、變つた世界を見ることにあつた。變化と刺戟に富む生活を欲したからのことであつた。私の其の目的には、上海は最も適當した土地であつた。それは見様に依つては實に不思議な都會であつた。其處は世界各國の人種が混然として雑居して、そしてあらゆる國々の人情や風俗や習慣が、何んの統一もなく現はれてゐた。それは巨大なるコスモポリタンクラブであつた。其變には文明の光が燦然として輝いてゐると同時に、あらゆる秘密や罪惡が惡魔の巣のやうに渦巻いてゐた。極端なる自由、眩惑させる華美な生活、胸苦しい淫蕩の空氣地獄のやうな凄惨などん底生活――それらの極端な現象が露骨に、或ひは陰然と、漲つてゐた。天國であると同時に、其處は地獄の都であつた。私は雀踊りして其の中へ飛び込んで行つた。然るに私は其處で圖らずも一つの事件にぶつかつた。そして其の事件を脊負つたまゝで日本へ還って來たのだつた。私はそれを小説に書かうと考へてゐるがいまだに纏まらない。そこで本書のはふを先きに發表することにした。是れは主として上海及び其の地方の印象記である。が、單なる印象記ではない、同時に私の生活の記録である。寧ろ其のはふか主體であるとも言へる。謂はば、私の書かんとする小説の素材である。ともかくも私は此の書に依つて、上海を知れる人と知らざる人とに關はらず、何等かの刺戟と暗示とを與へることができると信じてゐる。一九二四年六月 著者
古い本を読んでみたい、探してみようというきっかけになった本、『上海コレクション』(平野純 編 ちくま文庫)。色々な本からの抜粋のアンソロジーで、『魔都』以外にも、この本で目を付けて国立国会図書館デジタルコレクションで見つけたものがある。