小樽は行こうと思えば行ける距離ではあるが、行こうと思わなければなかなか行かない距離でもある。観光客が行くところというイメージがあり、積極的に行く機会はあまりなかった。だが、数年前に古本屋やアンティークショップを見に行ったところ、古い建物がたくさんあり、これはレトロ趣味で楽しめる街だなと思った。
今回、久しぶりに小樽へ行ったのは、小樽文学館で催された巖谷國士の講演「澁澤龍彦とは誰か」を聴くためだった。これをチラシでたまたま知ったのが四日前の夜で、三日前の昼間に予約の電話をするとすでに定員オーバーだった。ただ、特別な展示があるし、必ずではないがキャンセルや立ち見など状況によっては入れるかもしれないので、それでもよければ来てくださいとのことだった。どうなるか分からないが、とりあえず行くことにした。
文学館へ行く前に、喫茶 光に寄った。ここはもうずっと前に嶽本野ばらの『カフェー小品集』(青山出版社 小学館文庫)で知り、行ってみたいと思っていた。私はどこの喫茶店でも奥の壁際が好きで、そこはかなり暗かった。港町らしく船の舵や船の模型がたくさんあり、店内にはランプがたくさん並んでいる。ショーケースの中に懐中時計やカメラがあったり、壁際に真鍮の望遠鏡があったりする。『ホフマン物語』の舟歌など優雅なクラシックが流れている。
私の席の斜め前には着物の女性が一人で本を読んでいた。私も本を読んだりボーッとしたりしていたら、いつの間にか斜め前の席は男性二人連れに変わっていた。背もたれの高い椅子の間に、眼鏡をかけ、ストールを巻いたおしゃれな紳士が私の席から丁度見えた。話し声が聞こえてきて、出版関係か大学の先生かなと思った。ここのお手洗いが独特で、靴を脱いでスリッパに履き替え、明るい廊下を通った先にある。私がお手洗いから戻るとき、先ほど見えた紳士とすれ違った。せまい通路なので「失礼します」と声をかけた。
お会計のとき、レジがチャリーンと鳴り、かなり古い機械だと気付いた。もっとじっくり見ておけばよかった。創業昭和八年という歴史の重みを感じる空間で、とても気に入った。時間があればもっと長居したかった。
それから文学館に向かい、一日限りの澁澤龍彦 超・特別展を見ていた。広いスペースではないが、手紙や写真など貴重なものが色々見られた。『裸婦の中の裸婦』(澁澤龍彦 巖谷國士 文春文庫 河出文庫)のあとがきに書いてある筆談メモの実物など。そこに巖谷國士の写真も展示されていて、驚いた。さっき喫茶店ですれ違ったのが巖谷國士だったとは!
喫茶 光も『カフェー小品集』を読んでいなければ行かなかったかもしれない。昔の話だが、私が本屋の店員だったときに客として来た嶽本野ばらに問い合わせを受けたことがある。最初見たときは、何か派手な恰好の人がいるな、バンドマンかなと思った。雑誌東京人でその街に住んでいると知り、あ、あの人、嶽本野ばらだったんだと気付いた。嶽本野ばらは澁澤龍彦の文庫本の解説を書いている。不思議な偶然があるものだ。