『マイエルリンクからサラエヴォへ』(1940)はユダヤ系ドイツ人であるマックス・オフュルス監督が1933年にフランスに亡命、1938年にフランス国籍を取得した後の作品だ。1889年、マイエルリンク(マイヤーリング)事件でルドルフ皇太子が暗殺か情死かで死亡し、皇位継承者となったフランツ・フェルディナントが1914年にサラエヴォで暗殺されるまでを描いている。フランツ・フェルディナントはルドルフの父である皇帝フランツ・ヨーゼフ一世の弟カール・ルートヴィヒ大公の長男だ。
マイエルリンク事件を描いた『うたかたの恋』(アナトール・リトヴァク監督 1936)のシャルル・ボワイエとダニエル・ダリューはマックス・オフュルス監督の『たそがれの女心』(1953)でも共演しているが、それはまた後の話だ。
映画を見るにあたってフランツ・フェルディナントについて調べてみた。世界中を旅して日本も訪れていたり、身分違いの結婚をしたり、リベラルな思想を持っていたりと、ちょっと変わった人だったようだ。予備知識があった方が映画も理解しやすい。教科書に皇太子と書いてあり、分かりやすいので記事のタイトルは「皇太子」としたが、実際は貴賤結婚のため「皇位継承者」と呼ばれたらしい。
恋と帝位の両方を選んだ皇太子
フランツ・フェルディナント・フォン・エスターライヒ=エステ – Wikipedia
サラエボ事件 – Wikipedia
「蓋付き腕時計」という記載が散見され、腕時計も懐中時計も”watch”だから誤訳してるんじゃないかなと思っていた。フランツ・フェルディナントの時計の実物の画像でもあればと思い、探してみたが見つからなかった。映画でもこの時計のエピソードはあり、やはり懐中時計だった。雑誌Low BEAT No.9 によると1880年にジラール・ぺルゴが初代ドイツ皇帝ヴィルヘルム一世の注文を受けてドイツ海軍将校用に開発したのが世界初のミリタリーウォッチだそうなので、腕時計がなかったわけではないようだが、19世紀末に腕時計はまだ一般的ではなかったはずだ。
内容は禁断の恋のメロドラマで、後のマックス・オフュルス作品では女の嫌な面が出ているのと違い、フランツ・フェルディナントの妻ゾフィー・ホテクは聡明で健気な女性として描かれている。皇族の一員として扱ってもらえない苦悩、悲哀が表情に現れている。
また、後のマックス・オフュルス作品のスケッチ風の人物の描き方とは違い、人物のクローズアップが多めで、1930年代風の俳優と女優の顔が近いカットもある。影の演出、面白いカメラワークもある。マックス・オフュルスの映画によく出てくる階段は、『マイエルリンクからサラエヴォへ』でも出てきて、単なる背景ではなく意味のある使われ方をしている。
最後は悲劇だがユーモアもあり、写真家がやたらシンメトリーの構図にこだわり、そのうち曇ってきて写真が撮れないというシーンは、どのカットも構図が美しいマックス・オフュルス監督を思わせ、笑ってしまった。儀典長のモノクル(片眼鏡)にキラーンと十字型の光が反射しているところなど、こだわりが感じられる。大公妃が人間味のある人物でゾフィー・ホテクに味方したり、いかにもお役人な儀典長が粋なはからいをしたりするところがよい。
暗殺へ至るシーンは、大勢の観衆が見ている中を車が走る引きの映像で、実際にそこにいるかのような緊張感がある。銃声、騒然とする群衆、鐘の音から葬列へのオーバーラップ、そこから突然、「征服と覇権を求める何人かの人々がこれを口実とし第一次世界大戦を起こした」とナレーションが入り、強烈なナチ批判が始まる。ストーリーで匂わせるのではなく、リアルタイムで直接的な攻撃なので驚いた。
偶然にも今日は憲法記念日だ。本当に憲法をよくするための改正ではなくて、戦争をやりたくてやりたくてたまらない奴らの狂気であることは十年以上前に記事「戦争をやりたくてやりたくてたまらない奴ら」を書いたときからひしひしと感じていた。新聞によると現政権での憲法改正に暗雲が立ち込めているそうだ。本当はもっと早く選挙でブッ潰さなくてはならなかったが、危機を煽って武器を売って金儲けしたい奴らに踊らされている奴が憲法改正したがっていることに人々がやっと気付き始めただろうか。
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