『ラスト・タイクーン』の構想を編集者に説明する手紙で、フィッツジェラルドはヒロインについて、こう書いている。
何もかも幸運だらけの者になど、人々はただただ深い同情などは寄せない。だからサッカレーの『バラと指輪』のロザルバのように、「ちょっとばかりの不幸」をこの女に授けるつもりです。
『バラと指輪』は同じくフィッツジェラルドの『夜はやさし』の文中にも出てくる。この1854年のイギリスの小説は、一体何なのか。
元は子供たちに語って聞かせたものだった。あるクリスマスの時期、サッカレーは娘たちと外国の町で過ごした。泊まっていた家の二階にはイギリス人の家族が大勢いて、そこの家庭教師が十二夜祭用の人物絵を一組描いてくださいとサッカレーに頼んだ。その家庭教師が面白いことを色々考えつくお嬢さんで、そのお嬢さんとサッカレーは絵を見ながら物語を作り上げ、子供たちに話してやった。
ヴィクトリア時代のイギリスでは道徳的、教訓的な童話が多く書かれた。それに対し『バラと指輪』は妖精や魔法が出てくるかなりナンセンスなコメディだ。何度も笑ったが、ただ面白いだけではなくて教訓もある。説教くささとナンセンス、どちらかが強すぎると平凡になるが、『バラと指輪』はバランスがよい。著者本人の挿絵や語り手のとぼけた感じもおかしい。
妖精ブラック・スティックは二人の女の子にバラと指輪を与えた。それらは身につけると美しく見え、異性を魅了する魔力を持っていた。二人はそれぞれパフラゴウニア国の王妃、クリム・タータリ国の貴族の奥方になったが、夫に甘やかされ、自惚れ屋になった。自分の魔法に疑問を持ち、魔法を止めたブラック・スティックは、それぞれの国の王子、王女に「ちょっとばかりの不幸」を与える。するとその親は王座を追われ、子供たちの苦難の物語が始まる。
ブラック・スティックがトリックスターで、バラと指輪の持ち主が変わることによって起こる混乱した恋や騒動が描かれる。フィッツジェラルドが手紙や小説で書いている王女ロザルバは謀反により父を殺され、異国の王女の小間使いとなり、ひょんなことから魔法の指輪を身につけるとモテモテになり、同性の嫉妬を買って追放され、王女であることが判明した後も監禁されたり処刑されそうになったり苦難は続く。
登場人物が多くて複雑なので細かいことは読んでのお楽しみだが、最後はまるく収まる。ちょっと年寄りをいじめすぎじゃないかと思うところもあったが、そこも解決してしまうところは見事だ。
結局金があっても駄目になる人もいるし、苦労したためによくなる人もいるということだ。不幸を与えられた王子と王女が結局はよくなった要因は勤勉さだ。
ギャツビーも最後には勤勉な人物であったことが明かされる。「華麗なるギャツビー」は表面的なもので、実際は「偉大なるギャツビー」であり、フィッツジェラルドが何故『バラと指輪』について書くのかが少し分かったような気がした。