男女関係のいざこざで女を殺す男がいる。人殺しはよくないが、女は怒りの導火線に火を点けるようなことをやるものだ。時間が経てばかわいいところもあったなと思えるのだが、頭に血がのぼっていると余裕がなくなるのだろう。
そんなときに役に立つかもしれないのが『ハードボイルド風に生きてみないか』(生島治郎 ワニ文庫)だ。タフな生き方が必要なのだと身に沁みてわかるのは、裏切りや挫折感に打ちのめされて、傷だらけになったときなのだ。
ハードボイルドの条件
第一に、自分のルールを守りぬいていること。
第二に、どんなに痛めつけられても、泣き言をいわないこと。
第三に、他人に対するやさしさを失わず、自分の傷を他人にみせないこと。
生島治郎は書いている。相手にあまり多くを期待するな、百の愛情を与えたから百の愛情が返ってくると考えるのはおかしい、惚れている状態そのものに幸せなり充実感を覚えるだけで満足すべきだ、と。
ハードボイルドはフィッツジェラルドとも関係がある。ダシール・ハメットが1920年代で同時代ということは知っていたが、具体的なつながりは、こういうことだ。フィッツジェラルドやヘミングウェイらが、第一次大戦の体験によって、もはや自分の内部をいかに説明したところでわかってもらえない、わかってもらったところでしようがないというところから、外面描写、人間の行動によって、内面を指摘するというスタイルを編み出した。 それをミステリに応用したのがハメットだったのだ。『グレート・ギャツビー』(『華麗なるギャツビー』)はハードボイルド以前の作品だが、同質のかっこよさを感じる。